時代劇で有名ですね!
忠臣蔵(ちゅうしんぐら)は、
忠臣蔵:堀部弥兵衛と堀部安兵衛 歌川国貞作歌舞伎・人形浄瑠璃(文楽)の演目『仮名手本忠臣蔵』(假名手本忠臣藏)の通称。
歌舞伎や演劇・映画の分野で、赤穂浪士の復仇事件元禄赤穂事件に題材をとった創作作品のこと。
詳細は元禄赤穂事件を参照
江戸時代・元禄14年2月4日(西暦1701年3月3日)、に江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩が高家肝煎・吉良義央に切りつけた刃傷沙汰に端を発する。松の廊下事件については、加害者とされた浅野は切腹となり、被害者とされた吉良はおとがめなしとされた。その結果を不満とする大石良雄をはじめとする赤穂藩の旧藩士47人(赤穂浪士、所謂"赤穂四十七士")による、元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)の本所・吉良邸への討ち入り及びその後の浪士たちの切腹までを題材にとった物語の総称として使われる。
ただし、忠臣蔵は、かなりの演出・創作が含まれており、必ずしも史実の通りではない事に注意しなければならない。
吉良邸襲撃の日は旧暦12月14日(正確には翌日未明)であったが、現在に至るも新暦12月14日が近づくと忠臣蔵のテレビドラマや映画が放映されるなど、その人気は衰えを見せない。
多数の映画が製作され、テレビドラマ化、書籍の出版も多くなされている。また、当然ではあるが徳川幕府への遠慮はなくなったので実名での作品化がなされるようになり、また、価値観の多様化と多くの資料研究から、いままでのような赤穂浪士の忠義一辺倒の一方的なものではない、吉良側の視点を始めとした様々な角度からの作品化がなされるようになった。
歌舞伎・人形浄瑠璃
忠臣蔵十一段目夜討之図、歌川国芳作討ち入り決行の翌元禄16年(1703年)には事件を曾我兄弟の仇討ちに設定した『曙曽我夜討』が上演されたが、三日目に上演禁止とされている。討ち入り事件の4年後の宝永3年(1706年)には、この事件に題材をとった近松門左衛門作の人形浄瑠璃『碁盤太平記』が竹本座にて上演され、以降、浄瑠璃・歌舞伎の人気題材となり、数作品が作られた。その集大成が寛延元年(1748年)8月に上演された二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作の人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』である。同じ年に歌舞伎の演目として取り入れられ大当たりした。歌舞伎、浄瑠璃、講談で数多くの作品がつくられ、「忠臣蔵物」と呼ばれるジャンルを形成する。その様な作品のひとつに『仮名手本忠臣蔵』と怪談を組み合わせた鶴屋南北作『東海道四谷怪談』がある。
江戸時代は江戸幕府から同時代の武家社会の事件を上演することは禁じられていたために、「忠臣蔵物」は近松以来、幕府を憚って、舞台を別時代とし、登場人物を他の歴史上の人物に仮託したものが多い。近松作品では太平記の時代を舞台とし、登場人物の名として、浅野内匠頭を塩冶判官(塩冶高貞)、吉良上野介を高師直に擬し、高師直が塩冶高貞の妻に横恋慕したことを発端としており、『仮名手本忠臣蔵』でもこれに倣っている。しかし事件がわかるように塩冶の「塩」は赤穂の特産品である「赤穂塩」、高師直の「高」は吉良上野介の役職「高家」と掛けられている。太平記に登場しない人物の名も変えられ(大石内蔵助→大星由良之助など)。
「忠臣蔵」という名前の由来は、蔵一杯の忠臣という意味や、大石内蔵助の「蔵」に掛けている等とされるが、定かではない。
「仮名手本」という名前の由来には3種類の説明がなされる。
かな47文字すなわち四十七士を指す。(実際、四十七士の各々の装束に、いろは仮名を一文字ずつ書いた浮世絵も多い)。
いろは歌を七文字毎に区切り一番下の文字を順に読むと「とかなくてしす」、すなわち「咎(とが)無くて死す」である為。
幕府の禁止令により登場人物が実名ではなく「仮名」で呼ばれている為。
「忠臣蔵物」は独参湯(薬の名前)と呼ばれ、客が不入りの時でも忠臣蔵を出せばあたると言われるほどに庶民に人気があった。
明治以降、幕府への憚りがなくなったため、太平記に由来する設定は変えず登場人物の名のみ実名で上演することができるようになった。忠臣蔵は人気が高く、昭和9年(1934年)には資料調査をした歌舞伎『元禄忠臣蔵』(真山青果作)が上演されている。講談、浪曲でも忠臣蔵は人気があり、「赤穂義士伝」と呼ばれ、事件の史実をあつかった「本伝」、個々の赤穂四十七士を描いた「義士銘々伝」、周辺のエピソードをあつかった「外伝」からなる。
第二次世界大戦後の連合国占領下では、厳しい言論・思想統制が行われた。連合国軍総司令部は日本国内での報復運動の高まりを恐れ、『忠臣蔵』事件を題材とした作品は封建制の道徳観が民主化の妨げになるとして(仇討ちという復讐の物語であるため)当事件を題材とした作品の公演、出版等を禁止した。マッカーサーの副官で知日家のフォービアン・パワーズらの努力により逐次解禁され、1947年に『仮名手本忠臣蔵』が復活上演された。
(以上、ウィキペディアより引用)
すごいことだったんですねー。。
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