2010年2月17日
イスタンブルについて
現在「旧市街」と呼ばれるマルマラ海と金角湾に囲まれた、ヨーロッパ大陸から突き出した半島の先端に設けられた古代ギリシアの植民都市ビュザンティオンが、イスタンブルの起源である。ローマ帝国末期330年にコンスタンティヌス1世がここに遷都、ビュザンティオンをコンスタンティノポリスと改名した。以来1100年以上に渡り、東ローマ帝国の首都として、1453年のコンスタンティノポリス陥落までキリスト教徒の都であった。
1453年にこの町を征服したオスマン帝国のメフメト2世はただちにエディルネから遷都し、イスタンブルは引き続き東地中海を支配する帝国の首都となった。コンスタンティノープルはイスラムの支配下に入り、聖ソフィア大聖堂(アヤソフィア)をはじめとする多くのキリスト教の教会が強制的に接収されモスクになった。
メフメト2世はモスクと病院、学校などをくみあわせた複合施設群を設立し、ローマ帝国の引いた水道(ローマ水道)を補修し、後のグランドバザールの前身となる屋根付きバザールを始めとする商業施設を建設して都市インフラを再興した。さらに、被征服者のキリスト教徒にズィンミー(公認された異教徒)として一定程度の人権を保障して新都にそのまま住まわせる一方、アナトリア半島の諸都市からムスリム(イスラム教徒)の富裕者を強制的に移住させる政策をとったので、15世紀後半の50年間にイスタンブールは東ローマ帝国の末期には激減していた人口を大きく上回る大都市となった。
近代には旧市街のみならず、新市街と呼ばれるガラタ地区、ベイオール地区やアジア側のウスクダルなどを取り込んで大都市へと発展する。とくに、ベイオール地区ではペラ大通り(現在のイスティクラル通り)に沿ってヨーロッパ各国の大使館や多国籍のホテル、レストラン、商店が立ち並び、ヨーロッパから移植された西欧文化のショーウインドウとなった。
1923年、前年にスルタンを廃止してオスマン帝国を消滅させ、首都機能をアンカラに移したアンカラのトルコ大国民議会は、トルコ共和国の建国を宣言。これによって、イスタンブルはコンスタンティヌス1世の遷都以来、約1600年続いた帝国の首都としての地位を失った。しかし、共和国期も依然としてトルコの社会・経済・文化の中心都市として繁栄し、市域はさらに拡大を続けてボスポラス海峡の沿岸全域とマルマラ海沿岸の広い地域を含む大都市となった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
イスタンブルの歴史について調べてみました。
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